2011年11月17日

浜松肴町の魚がし通り

浜松肴町の魚がし通り
昭和38年頃の肴町通りと有楽街を結ぶ道です。 

まだ、道路もカラー舗装されていません。

つき当たりの白い建物は、

甲州屋という傘屋さん傘

現在もこの建物は残っていて・・・

VIVACE(ヴィヴァーチェ)という

イタリアンレストランが営業中です

このたび、肴町復刻マップ作成を機に、

この通りを肴町魚がし通りと呼ぶことにしました。

それは、この通りの西側

肴町通りの弁いちさんがあったところに

戦前まで魚市場があったからです針魚青 魚赤 魚青

浜松肴町の魚がし通り

弁いちさんの前には今、

100円バスくるるのバス停肴町魚がし跡があります

そして、昭和30年代はこの通り下降に 

肴町魚組の屋台置き場もありました。

また、有楽街側に最近できた

電子掲示板テテルのあるビルの場所は 

間渕酒造の搬入口広場で、キャッチボールや鬼ごっこをして遊んでいました。

浜松肴町の魚がし通り

そして、今のパーク24駐車場裏口付近には 

長いレンガ塀があり

僕たちはよくそこに座っておすましラブニコニコ 

日なたぼっこをしていました太陽キラキラ  

当時の写真下

浜松肴町の魚がし通り

また、このレンガ塀の向かいには

鷲津屋さんというお豆腐屋さんがありました。

現在はバーになっています。

先日そこで昭和のカクテルをいただきました

東京浅草が発祥のそのカクテルとは・・・グッド つづく

浜松肴町の魚がし通り

他にもこの時代には、

自転車タクシーの輪タク屋さんがあったりとか

芸者置屋さんも多くありました。

輪タクは芸者さんをお客さんがいるお店まで

送り届けるためなどによく利用されていましたスタコラ家


~天然だしと乾物の松作商店

浜松肴町の魚がし通り







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    この記事へのコメント
    Narayana様
    コメントありがとうございます。
    ご存じのとおり浜松は空襲でほとんど焼けてしまい、これは戦後の写真ですが、口伝えに語り継がれた歴史も財産です。
    また、機会があれば今後もご紹介したいと思います。
    Posted by matsu39 at 2011年11月17日 11:26
    レンガ塀の写真びっくりしました。
    私が高校生の頃はまだありました!
    お気に入りのお店の前でレンガ塀の所に座って、よく友達としゃべったりしてました。
    とは言っても90年代ですけど・・・。
    なんだかとても懐かしい感じですね。
    とても貴重な写真ありがとうございます。
    浜松の町もいい所はそのままに、もっと発展していくといいですね。
    Posted by NarayanaNarayana at 2011年11月17日 00:52
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      コメント(2)