2009年07月10日
戦前の肴町① 魚市場
戦前の肴町魚市場の写真です。
この頃の肴町には、街なかに魚市場があって
道路上に並べてせりを行うことも度々ありました。
明治40年(1907年)頃、魚問屋が集まって
浜松魚鳥(ぎょちょう)株式会社を発足、三星魚市場を設立しました。
せり台には魚いっぱいの木箱が並べられ、
仲買人が毎朝やってきて 魚や乾物を仕入れていきました。
年末には黒山の人だかりで、上野アメ横のような活況を呈していました。
昭和20年(1945)6月の空襲で建物が焼失するまで続いたということです。
一番上の写真は、今の肴町通りのちょうど真ん中あたりで撮られたものです。
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浜松魚鳥(ぎょちょう)株式会社を発足、三星魚市場を設立しました。
せり台には魚いっぱいの木箱が並べられ、
仲買人が毎朝やってきて 魚や乾物を仕入れていきました。
年末には黒山の人だかりで、上野アメ横のような活況を呈していました。
昭和20年(1945)6月の空襲で建物が焼失するまで続いたということです。
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現在は、『肴町魚がし跡』という標識が立っていて、まちバスくるるのバス停もあります。
Posted by matsu39 at 13:50│Comments(0)
│浜松