2020年05月19日
昭和に走った輪タクの常連は
人力の三輪自転車タクシーで
別名国民車とも呼ばれていました
昭和22年に東京で営業が始まり
肴町の輪タクも30年代半ばまで
営業をしていました
現代では形を変えイベントの時などに
別名国民車とも呼ばれていました
昭和22年に東京で営業が始まり
肴町の輪タクも30年代半ばまで
営業をしていました
現代では形を変えイベントの時などに
エコな乗り物として走ったりもします
ちなみに、当時輪タクの運賃は
ちなみに、当時輪タクの運賃は
庶民にとっては結構いい値段で
国民車といえども高級な乗り物でした
そのため、輪タクの常連は主に
料亭を利用するお金持ちの旦那衆
しかし、その乗客は旦那衆ではなく
肴町にも数軒あった置き屋さんから
宴席に呼ばれる芸者さん達でした
浜松がガチャマン景気で
花柳界も賑やかだった頃のお話です・・・
国民車といえども高級な乗り物でした
そのため、輪タクの常連は主に
料亭を利用するお金持ちの旦那衆
しかし、その乗客は旦那衆ではなく
肴町にも数軒あった置き屋さんから
宴席に呼ばれる芸者さん達でした
浜松がガチャマン景気で
花柳界も賑やかだった頃のお話です・・・