2012年04月16日

肴町魚組御殿屋台の変遷

肴町魚組御殿屋台の変遷
浜松まつりで使われる肴町魚組の御殿屋台人差し指

建造当時昭和28年ころ、

肴町通りで撮影された写真です

屋台の軒に提げられた丸いほうづき提灯

今と違いほとんどの部分が赤く塗られていたようです。

そして、前には魚がしと書かれた

天頂提灯が2つ提げられています。

画像クリックで拡大します下降

肴町魚組御殿屋台の変遷

屋台がない頃葉

凧揚げが終わると和地山の練兵場から

リヤカーで肴町まで凧を運んでいましたがスタコラ・・・

肴町魚組御殿屋台の変遷

それがのちに底抜け屋台となり

旦那衆が多かった肴町では

中に芸者さんを入れてお囃子を演奏しながら

一緒に歩いて曳きまわしたそうです音楽

写真の右側には今は無き植村屋紙店の建物と

その後ろには現在メルカートとなっている

間渕酒造の建物がみえます家

また、戦前の肴町には

こんな豪華な屋台がありました下降

肴町魚組御殿屋台の変遷

そらが、浜松大空襲で焼けてしまい飛行機

底抜け屋台から再度復活したのです力こぶ

これは肴町通りの南入口

竹輪蒲鉾の豊田屋前で撮られた写真ですが

芸者さんも交え服装にも時代を感じますねニコニコ

※写真はすべてクリックで拡大します虫眼鏡

肴町魚組御殿屋台の変遷



  • 同じカテゴリー(プチ知識)の記事

    上の画像に書かれている文字を入力して下さい
     
    <ご注意>
    書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

    削除
    肴町魚組御殿屋台の変遷
      コメント(0)