2012年05月07日

浜松まちなかの魚市場

浜松まちなかの魚市場
昭和の初期まで、肴町には魚市場がありました魚青

肴町は徳川家康が

浜松城を築城した時にできたまちで

東は福田港、西は舞阪港までに上がった魚を

一手に扱うことができる特権を与えられていましたちょき

昭和の頃は、三星魚市場と呼ばれ

大勢のセリ人が来て魚を仕入れていきました魚赤魚青魚赤

浜松まちなかの魚市場

そしてこちらは、昭和10年頃の地図下降

浜松まちなかの魚市場

このころは、魚市場から連尺へ抜ける

江馬殿小路(えまどのこうじ)という道がありましたスタコラ

矢印の位置から、現在撮った写真がこちら下

浜松まちなかの魚市場

当時は左側の建物はなく

西側に抜けるかつての江馬殿小路がありました。

今は建物の間に

猫しか通れない隙間だけとなってしまいました(=^・^=)


浜松まちなかの魚市場



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