2011年12月01日

曾祖父についての忘備録

曾祖父についての忘備録
先日、図書館の郷土資料室で閲覧していたら

僕のひいおじいちゃんのことが載っている本を見つけました本

それは躍進の浜松 人物編という本で、

昭和5年に行われた紀元二千六百年記念行事

の一環として発刊されたようです。

曾祖父についての忘備録

曾祖父の名前は、鈴木鐡太郎(てつたろう)といいます。

しかし、当時の写真がないらしく

記事のページには祖父謙治の写真が載っていました眠っzzz

今回は僕自身の忘備録として記事にしておくことにしました本

漢字は旧体字のままで・・・・

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君は敢えて奢らず、
七十有余歳の長き彼の報徳宗に見るが如く
終始一貫 地味一點張りで遣り(やり)通したと云ふ 
實(じつ)に堅實無比な人である。

故に君の前には
好況も無ければ不況も無い、春も無ければ秋もない、
然れども人は言ふ、同君と雖も(いえども)青年時代は如何かと。

爾り(しかり)青年時代もまた今日と何等しく異なる處無く
刻苦精励をモットーとして經過せりと世にも珍敷勤行の人なり。

要するに同家中興の祖、松田屋作左衛門は
魚屋を渡世とし天秤棒一本から百萬長者を築き上げたと云ふ豪のもので
其の立志傳(りっしでん)的の事蹟が教訓となり、
子々孫々に傳へられているからである。

君は慶應二年 先代作三氏の長男に生れ、
鰹節及び砂糖問屋として営業方針に新機軸を認むべきもの無きも
商品の確実で賣出し、争って名誉職に就任することを爲さず。

数年前迄は 夏期は辨天島に避暑し
悠々自適振りに我等を羨慕せしめたこともあつたが
近時は拝眉の機会も無い。

令息謙治君は立教大学に学び、
伯父栄作氏の下に外交官たりし事あり。
語学堪能にして、英文毎日を讀み
かつ英文で論文を寄稿し數次賞金を受けたことあり。

尚ほ鐵太郎君には奇行多く 
嘗て(かつて)五社の寄付に難色ありしを以て
氏神松尾神社の寄付を百円と予算し、
指を以て一本を示したるに金千円と寄附帳に記載し
一驚せしめたことがある。

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また、この躍進の浜松 人物編という本には、

ほかにも多くの人たちが掲載され、当時を偲ぶことができましたおすまし




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