そして、前には魚がしと書かれた
天頂提灯が2つ提げられています。
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ちなみに、昔は凧が終わると
和地山の練兵場からリヤカーで
凧を町内まで歩いて運んでいました
その後、リヤカーが底抜け屋台となり
旦那衆や芸者置屋が多かった肴町では
芸者さんを屋台の中に入れ
お囃子を演奏しながら
一緒に歩いて曳き回ったそうです。
上の写真右側は植村屋紙店
その後ろに現在のメルカート
間渕酒造の建物がみえます
また、底抜け屋台より前の戦前には
こんな豪華な御殿屋台がありましたが
残念ながら浜松大空襲で
焼かれてしまいました
写真は肴町通りの南入口
蒲鉾竹輪の豊田屋前ですが
役員の羽織姿や前を開けて着る
伝統の法被姿が粋な感じです
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